たとえば腕や足、手や指先、
つまりは、だね、足や内臓、そして脳髄までもが只の肉片、臓器であり、
これらは機械的に機能しているもので 僕ら自身ではない

ぼくもきみも
痛い、とか、苦しい、とか、哀しいとか
それが”自分という自身”の感覚。だというのは
脳髄がシステムとして受信したものであって
僕ら 自身ではなく
只の肉片、肉の塊の 働きであって

ただの幻 なのだよ。 わかるかね?

足を切断した人が切断した方の足の痛みで苦しむのを知っているかい?
そう、幻視痛。 だったよね

僕らは 痛い 苦しい 哀しい 辛い さみしくて さみしくて 孤独

だけど

そんなのは みんな まぼろしまぼろしまぼろし

まぼろしがみせた まやかし なのだよ